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2011年の中国

2007年からスピンアウトした2015年まで中国へ何度となく出張していました。

初めは何もわからず、ベテラン出張者に付いて行くだけでした。
その時は1回限りの出張だと思っていたため、何も学ぼうとはせず、ただ必要な情報を入手することだけを考えていました。

食事はとにかく生物を食べないように、水に注意することを心がけていました。

その後何故か何度も何度も中国への出張が続きました。
2回目からは単独での出張となり、言葉もわからず辛い思いをしたのを覚えています。

休日になっても大きなショッピングモールに買い物に行くぐらいで、そこは日本のショッピングモールと遜色ない所なんですが、全く面白味がありません。

ある日、ショッピングモールに向かう途中の枝道を進むと、なんとも言えない昔ながらの雰囲気のある地域にたどり着いたのです。

そこは昭和40年代を彷彿させるような佇まいの建物が乱立した下町のようなところでした。





キョロキョロと辺りを見渡しながら歩いていると、見つけてしまいたした。
私の冒険心をくすぐる食事処を!

平日はホテルの近所の日本食レストラン数軒をローテーションする日々なのですが、休日は少し冒険して、日本食レストランではなく、現地の人達が食べるような食堂のようなところにも行くようになっていて、特に食当たりすることもなく、そこそこ美味いので更にランクを下げて冒険を繰り返していたので、
このお店を見た瞬間に『ビンゴ』となったのです。

中に入ると、35歳ぐらいの店主がよそ者を見る目で観察してきます。
『炒飯』と告げると頷き調理を開始。
その間店内を眺めると、テーブルの上には箸立てがあるのですが、8割が割り箸を洗って差し込んでおり、2割の新品の割り箸をキープして、料理を待ちます。
店の外では奥さんが赤いタライで洗い物をしており、そのタライはすすぎ用のタライのようです。
私が小さい頃の記憶でもこの雰囲気を味わったことがないので、昭和40年代というのは嘘で、更に時代を遡らなくてはならないのかもしれません。

写真を撮ったあと、結構なお客さんが入ってきたのですが、顔に泥が付いたままの労働者風やテイクアウトのおばあさんなど、地域に根付いた食事処のようです。
出てきた炒飯は凄く美味しそうで、手にしていた新品の割り箸で食べ始めると、表にいた奥さんがタライから金属製のレンゲを右手で水を切りながら持ってきてくれ、やはりすすぎ用のタライだったのだと確信しました。

スープは水道の水だったので、遠慮しましたが、炒飯は今まで食べた炒飯の中で3番の指に入る旨さでした。

お代の5元を渡して、覚えたての「好吃』を告げて帰りました。

その後3週にわたり通うと、店主も訳のわからん外人が毎週来て美味しいと言って帰っていく、悪い気はせん!
みたいに、徐々に愛想が良くなり、私のお気に入りのレストランとなったのでした。

後からの情報で、その地域は都市開発に反対しているダウンタウンで治安が悪いので、出張者の立ち入り禁止区域に指摘されているようでした。